〈サクセスストーリー〉と聞いて私の頭に浮かぶのは、過去のWen-Do受講時のあるシーンです。
その日のWen-Doワークショップで、ある参加者さんが質問をしました。路上での被害体験があるようで、その出来事について簡単に話をなさったあと、講師のゆいさんにこう尋ねていました。
「私、そのとき、大きな声が出せなかったんです。
母からいつも『何かあったら大声で叫ぶのよ!』と言い聞かされていて、そうすべきだとわかっていたのに、いざとなったら嗚咽のような、悲鳴のような、頼りない小さな声しか出せませんでした。ただ、とにかく逃げなきゃ!と必死だったので、逃げることはできたのですが。
ああいうときに、どうしたら、ちゃんと大きな声を出せるのでしょうか」
その質問は私にとって他人事ではありませんでした。
だから、ゆいさんの返答に私も全神経を集中させて聞いていました。
そしたら、ゆいさんは、こう答えたのです。
「ご質問をありがとうございます。
大変な思いをなさったんですね。
そして、どうやったら大声が出せるか、というご質問でいらしたと思います。
でも、ごめんなさい。
あの、私、…もし意地悪や皮肉に聞こえたら申し訳ないなと思いつつ、でも心からこう思うので真っ先にお伝えしたいのは、…今のお話は、ものすごいサクセス・ストーリーに、私には聞こえたんです。
だって、そんな危機一髪な状況になって、…身がすくんで腰が砕けて動けなくなるような恐怖をお感じでいらしただろうなと思うんですけど、それでも抵抗して全力で走って、逃げ切ったのですよね。
誰にでもできることではありません。
すごいことだと思います。
そして、逃げ切ったからこそ、こうして今日、ここに来てくださって、お会いすることもできました。もしかしたら当時を思い出すかもしれないとわかっていても、それでもいらしてくださいましたた。
そのどれもが、心から、すごいと思いました」
ゆいさんのその返答を聞いたときに、私、ものすごくびっくりして、そしてわかりました。
私もずっと、自分を責めて、責め続けて、ダメ出しを続けていたんだと。
あのとき、
理想通りにはいかなかったかもしれないし、
そこに悔しさは残っているかもしれないけれど、
できたこともちゃんとある。
その、できたことの積み重ねで、その人も私も今、ここにいるんだと、そう思いました。
「見方を変えればサクセス・ストーリーですよ」というような話ではなくて、
できたことの積み重ねの結果の事実として、自分が今、生きてここにいる。
私の体験もサクセス・ストーリーだ!と思えた瞬間でした。だからずっと忘れられません。
〈サクセスストーリー〉と聞くと、いつもあの質疑応答の光景を思い出します。
(愛知県:Nさん)
ありがとうございました